2011年12月20日火曜日

良いプレゼンテーションを実践したプレゼンテーション本

コクヨの1分間プレゼンテーション
下地寛也(コクヨの研修スキルパークトレーナー)

よくある軽いマニュアル本かと思いきや(と言いつつ、それも概念的な判断で、よくあるならどんなのがあるの?と言われても言い返せないのではあるが)、まああまり役には立たないチャライ本だろうと思って読んでみたが、きちんと要点がまとまっていて大変よかったです。

プレゼンを通すためには、というよりも、仕事の本質をどう捕えるか、といった観点で書かれているように思えた。
もちろんプレゼンの実際的なテクニックもきちんと紹介されているが、一つ一つの行為に「なぜそうあるべきか」といった理由付けも記述してあり、この本自体が良いプレゼンテーションの仕方の本の形を取ったプレゼンテーションという事になっている。

どうやったらプレゼンに通るか考えるのではなく、相手の為になるか?という発想を持つ事が書かれており得心した。
それにより良いプレゼンになり、双方の利益になるということなのだろう。

良書です。

2011年12月5日月曜日

「コンドルズ」下宿時代の延長線上にあるノスタルジーと若人の未視感(ジェメヴュ)

http://www.kangeki-ichiba.org/pg9.html

演劇 2011年12月4日 やわらぎホール(学習院大学)


今回のコンドルズのステージを非常に興味深く観ることができた。コンドルズ公演と銘打ってはいるが近藤良平と石渕聡の2名のみのステージ。彼らは丁度自分と同年代と言う事もあり世代的にも共有するところは多いのだろう。

最初はCCC(コンドルズ コレオグラフィー コンペティション)の表彰式をするとは知らず、その様子を見て、ややしまったと思ってしまった。(コンドルズはコアなファンが多いようで、見に行くとなんとなくアウェイ感がある)
が、それはさらっと済んで、10分の休憩後2人の即興舞台が始まった。

やる事が決まっていないのでどうなるかわからない、と近藤の弁。シャンソンを歌う、という近藤の宣言で始まった。その後はおでんを挟んだ二人の会話劇が続く。本当におでんを食べながらの話でこちらまでおでんが匂った。テンポをずらした会話は途中で本人たちもまどろっこしくなり通常のスピードに変わる。
ファンにはおなじみのスタイルの様で、まわりはみな爆笑しているが自分はあまり笑えず、なんとなく居心地がわるいコメディ(のような)会話だった。

その後二人が演奏し、次にお題(キーワード)を舞台に投影し、それをテーマに近藤が踊り、石渕が演奏するスタイルで即興舞踏演奏が始まる。ここで石渕は一見ナゲヤリというか、近藤を挑発するかのような演奏を行う為、お題の表現は主として近藤の舞踏にかかってしまう。(近藤は時々抗議のそぶりを見せていた)意図的なのか、踊りながら苦し紛れの様に言葉で説明的なセリフを使ってしまう。しかし、一連の流れで許せてしまう(つまり見ている方もお題を知っているだけにもどかしく感じる)タイミングで発する。
たとえば「奇跡」というお題でモーゼの海を渡るシーンを表現しようとした時など。
「B-BOY」が一番のっていたように思えた。「幽体離脱」も苦労しながら(?)もなんとかやりおおせた。このあたりから場のテンションが上がっていく。自分としては、この方法を二人の間で担保するものは何なのか、という少々疑問めいたものを抱きながら見ていた。

その後、観客を舞台に上げて、近藤がシャンソンに合わせ、女装(胸につめもの)をして踊るのだが、シンプルながらフェミニンな衣装(と近藤の色気か)で意外にも女性的な舞踏となり(しかもそれもユーモラス仕立てで笑いをとりつつ)、最後は胸の詰めモノが林檎である事を披露し、相手に一つあたえ、自分も齧りつつ舞台から去る。これも何かの象徴か、と思ってしまうが、同時に何も考えていないような気もする。
曲はD・ボウイの「Life on Mars 」をフランス語で女性シンガーがカバーした曲だった。

その後、近藤の長い棒を使った軽いコント(?)があり、石渕のアフリカンドラムによる近藤のシリアスな舞踏で場はクライマックスへと向かう。近藤の圧倒的な身体表現がここで解放されていた。(個人的にはむしろ、ここにある種の笑いを感じたのだが)。
ここで終わらないのがコンドルズ。これでもかのサービス精神。

その後ユーモラスなピアノの連弾があり、近藤が弾き始め、石渕が強引に参加し(ピアノは一台)二人がくんずほぐれつ演奏は続く。これは腐女子のおっさん萌えにクルのではなかろうか、BLネタを提供しているのだろうか、と思わせつつ、そのうち近藤が抜け出て舞踏を舞い、最後に「三本脚の牛」とセリフとポーズを決めて舞台は終わる。

と、やはりまだまだコンドルズ。
挨拶のあとに、一曲披露。ジョン・デンバー「カントリー・ロード」。
ギターの演奏の前に、2人が同じアパートでの下宿時代に夜な夜な演奏や踊りを繰り広げていたエピソードが語られる。そこで非常に合点がいった。
彼らのベースはそのノスタルジックな下宿の時空にあり、そして現在のこの舞台に続いているのであろう。そこから醸し出される同時代感覚に自分が共鳴したらしい。
昭和を舞台にした物語が、それを知らない若い世代にすら郷愁を呼び覚ますように、未視感(ジェメヴュ)を与える根源的なパワーが彼らにはあると感じたのだった。

2011年8月27日土曜日

新書がベスト - メタメッセージの連打

新書がベスト
-10冊で思考が、100冊で生き方が変わる
小飼弾著


ブログのタイトルに自分なりのサブタイトルを付けてみた。

前回(「空気を読むな、本を読め。」)と同じ著者の読書に関する解説書を続けて読む。前回は本を読む前と読んだ後の自分の変化を読め、というメッセージと本の構成自体にメタメッセージを感じた訳だが、小飼氏自身もメタメッセージに興味があるとか。

この「新書がベスト」は「新書」と言う形態の本に絞った読書法が記してある。
新書というある程度クオリティが保障され、廉価かつ読書という行為を行いやすい書籍を読みまくる事で、読書の習慣を身につけ、自分の読書方法を確立し、独自の思考を養っていく、という考え。

初級編、中級編とステップごとになすべき事がまとめられ、新書ブランドの解説とお勧めの新書紹介が続く。小飼氏の全体にある思想だと思うが、自身の主張を書きながらも、その主張すら疑いながら読むべし、というメッセージを感じる。その点で著者を信用できそうな印象を持つが、この人なら当然その印象操作を恣意的に行っているのではないか、という疑念も捨てきれない。しかし、その読者の疑念すら織り込み済みだとしたら、、、と映画「インセプション」の様に限がないが、そういった入り組んだ感想を持たせてくれる事に自分は爽快感を感じる。

そして、とにかく情報メタボになるな、インプットしたらアウトプットせよ、記憶は曖昧でよい、内容よりどこに何が書いてあったかさえ覚えていればよい、という主張には強く同意できた。

という訳でメモ程度であるが、読んだ本に関してはこれからは簡単に記す事にした次第である。
※実は2冊を並行して読んだので、最初に読み終わったほうもメモを書いた。

2011年8月26日金曜日

空気を読むな、本を読め。


空気を読むな、本を読め。Amazon

アルファブロガーとして著名な小飼弾著の読書初心者に向けた読書の意義を説いた本。
圧倒的な読書量を誇る著者ならではの「読書」に対する独自の解釈が綴られている。

新鮮だったのは、本を読んだ前後で自分がどう変わったか「自分を読む」という作業を提唱していることだ。そしてそれは読後のアウトプットという行為に繋がっていく。

平易な言葉や「クソ本」といったとげのある言葉の対比を効果的に使い、文章に独特の質感を与えている。
一見すかすかの中身の無さそうな体裁を「敢えて」とっていると思われるが、この体裁こそが著者の主張としてメタメッセージとなっていると見るのは穿ち過ぎか?

自分もそれなりに本は読んではいるが、メモ程度でもほとんど書かずにいたが、この本を読んで書くようにしようと思った事が「自分を読んだ」結果である。