2013年2月13日水曜日

jQuery winndowの右端までスクローラが移動したら最初にもどる



横スクロールでwinndowの右端までスクローラが移動したら最初にもどってループする
(左に移動して、コンテンツの最後に移動はしない)

コメントがすごいくどいけど、意外とどこに書いたらいいの?という人もいるだろうし、いちいち説明が必要な人もいると思うので(自分だ)、備忘録として。


<head>

<script src="http://ajax.googleapis.com/ajax/libs/jquery/1.6.2/jquery.min.js" type="text/javascript"></script>


<script type="text/javascript">

$(function() {

//ページの幅を取得 
var contentsW = $(document).width();

//スクロールされたときに関数実行
$(window).scroll(function(){

//ウィンドウの幅を取得
var windowW =$(window).width();

//ウィンドウ内のスクローラー位置
var sPos = $(this).scrollLeft();

//ウィンドウの幅+スクローラーの量、※スクローラーは隠れているコンテンツの幅まで移動する 
var allwidth = windowW + sPos;

//スクローラーの位置が画面幅を超えたらページを戻す
 if(contentsW <= allwidth) {
  $(window).scrollLeft(0,0);
 }   //if文閉じカッコ
 }); // スクロールされた時の関数の閉じカッコ

});  //全体の閉じカッコ

</script>

</head>

2013年2月9日土曜日

Lightboxで記述したtitle属性をツールチップで表示させない

サムネイル画像をLightboxの機能を使ってクリック時に拡大表示したとき、title属性に記述したテキストがキャプションで表示される。

その画像にマウスオーバーしたときにツールチップでそのテキストも表示されてしまう。
簡潔なものならいいのだけど、ある程度長い文章になると、見苦しくなってしまう。



それでいろいろと調べてみた。

jQuery tooolでツールチップのカスタマイズできるので、これでなんとかなりそうかと思った。
jQuery tools,jQuery tools日本語リファレンス,日本語リファレンス

ツールチップ表示自体はいらないので、opacity:0 で表示を見かけ上隠してしまえはいいかと考えたのだが(あまりいい方法ではないのは承知)、title属性データを横取り(?)してしまうらしくLightboxのキャプション表示自体もなくなってしまったのでボツ。

Javascriptでブラウザの機能を制限できないかと思ったが、これも該当する手段を見つけられず。

それでも色々検索していたら、こんなシンプルな解決方法が見つかった。

around design
Lightboxやfancyboxのtitle属性をポップアップさせない

画像の imgタグ に title属性をつけると、そちらが優先的に表示される.


だがimg属性のtitleを空欄にしてしまうと aタグのtitle属性が表示されてしまう。



スペースを入れておくと空欄の小さいツールチップが表示される(これもちょっと不審な感じ)。



長い文章が表示されるよりましなので、簡潔なタイトルを入れておくことがよいと思われる。


完全に消すことは出来なかったけど、まあまあの解決。

2012年4月29日日曜日

ブラウザの種類を判別、別ページに移動

いまさらですが、この処理が必要になったのでメモ

以下のサイトを参照

WinOfSql SQLの窓
http://winofsql.jp/VA003334/infoboard.php?id=070828100942&mid=sjscript&pid=3


リンク先が変わったり無くなったりした時の為にコピー&ペーストしておきます

<SCRIPT type="text/javascript">

 var userAgent = window.navigator.userAgent.toLowerCase();
 var appVersion = window.navigator.appVersion.toLowerCase();

 if (userAgent.indexOf("msie") > -1) {
  if (appVersion.indexOf("msie 6.0") > -1) {
   alert("IE6");
  }
  else if (appVersion.indexOf("msie 7.0") > -1) {
   alert("IE7");
  }
  else if (appVersion.indexOf("msie 8.0") > -1) {
   alert("IE8");
  }
  else {
   alert("Unknown");
  }
 }
 else if (userAgent.indexOf("firefox") > -1) {
  alert("Firefox");
 }
 else if (userAgent.indexOf("opera") > -1) {
  alert("Opera");
 }
 else if (userAgent.indexOf("chrome") > -1) {
  alert("Google Chrome");
 }
 else if (userAgent.indexOf("safari") > -1) {
  alert("Safari");
 }
 else {
  alert("Unknown");
 }

</SCRIPT>

2012年2月26日日曜日

ハギエンナーレ 記憶のモニュメント


築50年以上の木造アパート「萩荘」が解体に向けて閉鎖される。
ここ数年は東京藝大生の住居およびアトリエとして使用されていたとのことだ。

建物の閉鎖前に、その場を展示空間として開催されている展覧会が「ハギエンナーレ2012」だ。

古い場に存在する「時間の集積」という力に対してどうアプローチしていくかがこの種の展示の一つの見どころであろう。
それは住んだ場所に対しての愛着であったり、歴史の醸し出す雰囲気だったり、時間をかけねば作り上げられない経年変化だったりと様態は様々であるが、往々にして置かれる作品そのものより魅力的だったりもする。

はたしてハギエンナーレはどうか?

萩荘、というオブジェクトが作りだす空間の印象は奇妙な簡素さ、というべきか。
個別の作家性はイイ意味でもワルイ意味でも消失し、萩荘というオブジェクトに回収され、ハギエンナーレという時空間として成立しているようだ。

破壊される建物を使用するのであれば、ある種の破壊行為を創造的行為に結びつける事が考えられそうだが、あまりそういった行為は目につかない。
ウェットにならず、作家たちの静かな感情がそこに置かれているように感じられる。

話が飛躍するが、その静けさは、もしかしたら物心がついた頃からパーソナルコンピュータがツールとして存在した世代の感覚の表れなのかもしれない。
重要なのはハードウェアではなく、そこに存在するデータである。
ハードウェアが使えなくなったり、古くなったら新しいものに換えればよい。
古くなったハードウェア(萩荘)から新たなハードウェア(新天地)に乗り換えるのは肯定されるべきことである。
そういったドライな感覚が存在するように感じる。

とはいうものの、古くなった「モノ」の破棄は何らかの心理的負荷をもたらすはずだ。
それを鎮めるのは儀式であり、忘れずに記憶にとどめておく、という事が鎮魂の手段に他ならない。
死者を忘れ無い事が死者を弔う最良の方法のように。

萩荘を記憶のモニュメントとしてとどめておく事が「ハギエンナーレ」という一種の儀式なのであろうし、それは十分に達成しているだろう。
萩荘は住人達に十分に愛されていたのだ。



2012年2月24日金曜日

MOLESKINE のペンケース(?)

MOLESKINEをここ数年使用しているが、ペンを一緒に持ち歩くのがいまいちに感じていた。
オフィシャルなツールもあったけど
http://www.moleskine.co.jp/Online-Shop/Writing_2
食指が動かなかった。
なので簡単に作ってみた。






















ノートの厚みを増加させるような形状を避けたかったので、
ペンを差せるようにした円筒形の部分がノートの小口に密着する形。
栞代わりにもなる。

しばらく使ってみないと何とも言えないけど、
思いつきで作った割にはイイ感じがする。

2011年12月20日火曜日

良いプレゼンテーションを実践したプレゼンテーション本

コクヨの1分間プレゼンテーション
下地寛也(コクヨの研修スキルパークトレーナー)

よくある軽いマニュアル本かと思いきや(と言いつつ、それも概念的な判断で、よくあるならどんなのがあるの?と言われても言い返せないのではあるが)、まああまり役には立たないチャライ本だろうと思って読んでみたが、きちんと要点がまとまっていて大変よかったです。

プレゼンを通すためには、というよりも、仕事の本質をどう捕えるか、といった観点で書かれているように思えた。
もちろんプレゼンの実際的なテクニックもきちんと紹介されているが、一つ一つの行為に「なぜそうあるべきか」といった理由付けも記述してあり、この本自体が良いプレゼンテーションの仕方の本の形を取ったプレゼンテーションという事になっている。

どうやったらプレゼンに通るか考えるのではなく、相手の為になるか?という発想を持つ事が書かれており得心した。
それにより良いプレゼンになり、双方の利益になるということなのだろう。

良書です。

2011年12月5日月曜日

「コンドルズ」下宿時代の延長線上にあるノスタルジーと若人の未視感(ジェメヴュ)

http://www.kangeki-ichiba.org/pg9.html

演劇 2011年12月4日 やわらぎホール(学習院大学)


今回のコンドルズのステージを非常に興味深く観ることができた。コンドルズ公演と銘打ってはいるが近藤良平と石渕聡の2名のみのステージ。彼らは丁度自分と同年代と言う事もあり世代的にも共有するところは多いのだろう。

最初はCCC(コンドルズ コレオグラフィー コンペティション)の表彰式をするとは知らず、その様子を見て、ややしまったと思ってしまった。(コンドルズはコアなファンが多いようで、見に行くとなんとなくアウェイ感がある)
が、それはさらっと済んで、10分の休憩後2人の即興舞台が始まった。

やる事が決まっていないのでどうなるかわからない、と近藤の弁。シャンソンを歌う、という近藤の宣言で始まった。その後はおでんを挟んだ二人の会話劇が続く。本当におでんを食べながらの話でこちらまでおでんが匂った。テンポをずらした会話は途中で本人たちもまどろっこしくなり通常のスピードに変わる。
ファンにはおなじみのスタイルの様で、まわりはみな爆笑しているが自分はあまり笑えず、なんとなく居心地がわるいコメディ(のような)会話だった。

その後二人が演奏し、次にお題(キーワード)を舞台に投影し、それをテーマに近藤が踊り、石渕が演奏するスタイルで即興舞踏演奏が始まる。ここで石渕は一見ナゲヤリというか、近藤を挑発するかのような演奏を行う為、お題の表現は主として近藤の舞踏にかかってしまう。(近藤は時々抗議のそぶりを見せていた)意図的なのか、踊りながら苦し紛れの様に言葉で説明的なセリフを使ってしまう。しかし、一連の流れで許せてしまう(つまり見ている方もお題を知っているだけにもどかしく感じる)タイミングで発する。
たとえば「奇跡」というお題でモーゼの海を渡るシーンを表現しようとした時など。
「B-BOY」が一番のっていたように思えた。「幽体離脱」も苦労しながら(?)もなんとかやりおおせた。このあたりから場のテンションが上がっていく。自分としては、この方法を二人の間で担保するものは何なのか、という少々疑問めいたものを抱きながら見ていた。

その後、観客を舞台に上げて、近藤がシャンソンに合わせ、女装(胸につめもの)をして踊るのだが、シンプルながらフェミニンな衣装(と近藤の色気か)で意外にも女性的な舞踏となり(しかもそれもユーモラス仕立てで笑いをとりつつ)、最後は胸の詰めモノが林檎である事を披露し、相手に一つあたえ、自分も齧りつつ舞台から去る。これも何かの象徴か、と思ってしまうが、同時に何も考えていないような気もする。
曲はD・ボウイの「Life on Mars 」をフランス語で女性シンガーがカバーした曲だった。

その後、近藤の長い棒を使った軽いコント(?)があり、石渕のアフリカンドラムによる近藤のシリアスな舞踏で場はクライマックスへと向かう。近藤の圧倒的な身体表現がここで解放されていた。(個人的にはむしろ、ここにある種の笑いを感じたのだが)。
ここで終わらないのがコンドルズ。これでもかのサービス精神。

その後ユーモラスなピアノの連弾があり、近藤が弾き始め、石渕が強引に参加し(ピアノは一台)二人がくんずほぐれつ演奏は続く。これは腐女子のおっさん萌えにクルのではなかろうか、BLネタを提供しているのだろうか、と思わせつつ、そのうち近藤が抜け出て舞踏を舞い、最後に「三本脚の牛」とセリフとポーズを決めて舞台は終わる。

と、やはりまだまだコンドルズ。
挨拶のあとに、一曲披露。ジョン・デンバー「カントリー・ロード」。
ギターの演奏の前に、2人が同じアパートでの下宿時代に夜な夜な演奏や踊りを繰り広げていたエピソードが語られる。そこで非常に合点がいった。
彼らのベースはそのノスタルジックな下宿の時空にあり、そして現在のこの舞台に続いているのであろう。そこから醸し出される同時代感覚に自分が共鳴したらしい。
昭和を舞台にした物語が、それを知らない若い世代にすら郷愁を呼び覚ますように、未視感(ジェメヴュ)を与える根源的なパワーが彼らにはあると感じたのだった。