六本木ヒルズオープン時の「アーテリジェントシティ」なるキャッチコピーで展開されたキャンペーンを、小説家、画家の赤瀬川源平氏はこう批評している。
「幼稚である事がトレンドにもなっている。若い女性の幼稚っぽい言葉使いがそれを象徴している。(中略)「アーテリジェント」という言葉を見つけて、うははと思った。アートがいよいよ化学調味料となって「アート風味」の新商法だ。「ヨーチリジェント」という言葉が浮かんだ。しかし幼稚がトレンドとして意識されているうちはまだしも、いまはそんな意識も蒸発して、幼稚は肉質化している。」
(27人のすごい議論(文春新書)『第四章 村上隆「カワイイ」を世界に発信せよ-「幼稚力」こそ日本文化をけん引する哲学だ』より)
27人のすごい議論 (文春新書)[新書]
このキャンペーンを手掛けた村上隆は赤瀬川の揶揄に対し、赤瀬川自身が提唱した「老人力」を引き合いに出して幼稚さを援護している。「老人力」は一般的にネガな老人の特徴を180度変えてとらえ直し、新たな活力とする、その切り替えロジックを援用し、赤瀬川の揶揄した幼稚さを「幼稚力」と定義した。
これはもろ刃の剣で、批判を受けた側が安直に批判をかわすロジックになり得るのではと思った。「~力」とすることで、マイナスな事を一見ポジに変換してしまうという手法だ。
例えば村上隆が常々批判している日本画界も同じように批判をかわす事が可能となろう。
外部に対しての閉鎖的、は「閉鎖力」
さすがに村上隆はルイ・ヴィトンにおける「モノグラム」の実績を紹介し、提唱する「幼稚力」が実効性のある事を示してはいる。
この実証的な行為は「老人力」には必要はない。あくまで同じ行為を別の視点でとらえ直す事により、自己の中での価値転換が目的だからだ。「どうせ物忘れしてしまうのなら、それを否定的に捕えても肯定的に捕えても同じだ。それなら肯定的にとらえたほうがよいじゃないか」という考えだ。「老人力」を読んでいないので、いい加減な想像だが、おそらく赤瀬川は老人以外の若い人々には、既成の価値観に疑問を与えること、新たな視点を持つことを提唱しているのだろう(いい加減)。それによって結果老人に対し、自分がいつかは老いていく事に対して(少しばかりの)理解と、老人に対するやさしさを持つ事が、社会的なメリットになっていく事を提唱しているのだろう(内容妄想)。
本を読むまで自分も知らなかったので、おそらく大した議論にはならなかったのだろう。
ただ、赤瀬川氏独特のいつもの余裕と言うか、常にあるメタな視点を含んだ発言がやや硬直しているように感じたので、覚書として。
(と言っても村上氏の文章の中の引用なので、それも当然か。特に村上隆派でも赤瀬川源平派でもありませんが、元発言をきちんと調べてから書くのがフェアですよね>自分)
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