2010年10月14日木曜日

備忘録 XAMPP



XAMPP で Apache をインストールしたのですが起動しなくなったので、起動手順のメモ。

ポートの問題がまず考えられるので、ポート80を使用しているアプリケーションが無いか調べる。

コマンドプロンプトで以下実行
netstat -oan

[Local Address]0.0.0.0:80 を使用している [PID] をメモしておく。

タスクマネージャを起動して、PID が先ほどのものと合致しているアプリを特定し、終了させる。
僕の場合は IIS だったので、IIS を停止したら起動できました。

今回はポートの問題でしたが、他にもあるんだろうなぁ。

2010年9月26日日曜日

MUSUBI: tokyo art project office



MUSUBI: tokyo art project office
海外にむけて日本の現代美術を紹介していくサイトです。
これから作家のポートフォリオを充実させていく予定。

2010年9月9日木曜日

時間を先取りすること


危機的状況を乗り越えるオプションとしての手段。
「受けたダメージによって感受性を閉じ、仮死状態になってやり過ごす」
「受けたダメージは過去のものとし、感性を最大化し未来のあるべき姿に自分を引き寄せる」
(というような事を内田樹氏が言っていた)

未来のあるべき姿を明確にイメージし、それを今(現実化と言っていいと思う)のモノとして
身体化すること。
それによって、イメージが実現する。
というか明確なイメージなくして、望む未来は実現しないと言う事か。

2010年9月8日水曜日

答えはそこにある

何かについて、考えている時に、ふとその回答が目に飛び込んでくる事がある。

実は回答はやってくるのではなく、常にそこに存在している。ただそれに気がつかなかっただけなのだ。
どんなことも回答になり得る。環境に埋め込まれた意味を読み取る「自分」が変化した時に初めてそれが意味となり、回答となる。

大事なのは3S
Scanning /Sensing /Screening

2010年6月27日日曜日

幼稚力


六本木ヒルズオープン時の「アーテリジェントシティ」なるキャッチコピーで展開されたキャンペーンを、小説家、画家の赤瀬川源平氏はこう批評している。


「幼稚である事がトレンドにもなっている。若い女性の幼稚っぽい言葉使いがそれを象徴している。(中略)「アーテリジェント」という言葉を見つけて、うははと思った。アートがいよいよ化学調味料となって「アート風味」の新商法だ。「ヨーチリジェント」という言葉が浮かんだ。しかし幼稚がトレンドとして意識されているうちはまだしも、いまはそんな意識も蒸発して、幼稚は肉質化している。」
(27人のすごい議論(文春新書)『第四章 村上隆「カワイイ」を世界に発信せよ-「幼稚力」こそ日本文化をけん引する哲学だ』より)




27人のすごい議論 (文春新書)[新書]



このキャンペーンを手掛けた村上隆は赤瀬川の揶揄に対し、赤瀬川自身が提唱した「老人力」を引き合いに出して幼稚さを援護している。「老人力」は一般的にネガな老人の特徴を180度変えてとらえ直し、新たな活力とする、その切り替えロジックを援用し、赤瀬川の揶揄した幼稚さを「幼稚力」と定義した。


これはもろ刃の剣で、批判を受けた側が安直に批判をかわすロジックになり得るのではと思った。「~力」とすることで、マイナスな事を一見ポジに変換してしまうという手法だ。


例えば村上隆が常々批判している日本画界も同じように批判をかわす事が可能となろう。
外部に対しての閉鎖的、は「閉鎖力」


さすがに村上隆はルイ・ヴィトンにおける「モノグラム」の実績を紹介し、提唱する「幼稚力」が実効性のある事を示してはいる。


この実証的な行為は「老人力」には必要はない。あくまで同じ行為を別の視点でとらえ直す事により、自己の中での価値転換が目的だからだ。「どうせ物忘れしてしまうのなら、それを否定的に捕えても肯定的に捕えても同じだ。それなら肯定的にとらえたほうがよいじゃないか」という考えだ。「老人力」を読んでいないので、いい加減な想像だが、おそらく赤瀬川は老人以外の若い人々には、既成の価値観に疑問を与えること、新たな視点を持つことを提唱しているのだろう(いい加減)。それによって結果老人に対し、自分がいつかは老いていく事に対して(少しばかりの)理解と、老人に対するやさしさを持つ事が、社会的なメリットになっていく事を提唱しているのだろう(内容妄想)。


本を読むまで自分も知らなかったので、おそらく大した議論にはならなかったのだろう。
ただ、赤瀬川氏独特のいつもの余裕と言うか、常にあるメタな視点を含んだ発言がやや硬直しているように感じたので、覚書として。
(と言っても村上氏の文章の中の引用なので、それも当然か。特に村上隆派でも赤瀬川源平派でもありませんが、元発言をきちんと調べてから書くのがフェアですよね>自分)

2010年5月20日木曜日

惰円のパース



工業大学の授業でデッサンを教えていて惰円を理解してもらうためにフラッシュのムービーを作ってみた。
デッサン経験のない人が60人中90%ぐらいと思われる。
立方体上の惰円(辺に内接する円)のとらえかたをステップごとに図示したもの。
惰円が長軸(もしくは短軸)で線対象ということを理解してもらえれば、と思ったのですが、理解したから描ける、という訳ではないですね。
でも苦労して描くということは身体性を結び付くのでよいのでは?とアナクロに考えたり。

2010年5月6日木曜日

Matrix

Matrixの世界に入ったと思ってみていると、普通の世界がマトリックスの世界に見えてしまうから不思議

2010年4月30日金曜日

1Q84 もしくは 一空八四(1)



通常はあまり語らないし、言葉にし難いものではあるが、1Q84を読むと何か自分の中で言語化せずにはおれない欲求が発生する。

村上春樹の小説はほとんど読んでいるし、初期のあのデタッチメントの空気感に共感を覚えた故、「ダンス・ダンス・ダンス」後の作品はあまり熱心に読んではこなかった。

要は作中の主人公「僕」に共感し、それ以降の流れにはあまりノレなかった。
いわゆる、あるアーティストの初期のファンがアーティストがメジャーになってゆくに従って「昔はこんなじゃなかったよね」という拗ねた感情をもつアレみたいなものもあったのだろう。

だが「1Q84」は、かなり意図的に自作の過去の人物造形を投入し、そういった初期からの読者の意識の再編の要求しているように思える。

選ばれている言葉は平易でありながら、多義的かつアナロジーにあふれている。
僕にははっきりと感じる。
彼は全身全霊を傾けて「何か」に向けて言葉を紡いでいる。(感傷的な表現はしたくはないが)それは文字通り身を削りながら絞り出すような言葉であるように思える。

小説の一部を抜き出して論じる事は、僕にとってあまり意味が無いように思える。
身体の部位(たとえば「腕」が「このあたり」というような)を大体指し示す事は出来ても、実際に切り取るための境界が特定できないように、小説のフレーズを取り出しても何か違和感が残ってしまうだろう。
取り出してしまった瞬間に、別のものになってしまうようなもの。

それにもかかわらず自分が反応した箇所を切り出してみたい欲求がある。
しばらくは解剖のような「腑わけ」をしてみたいと思う。
それが目的もなく、どこにも辿りつかなかったとしても。

(続く)

 

2010年4月27日火曜日

URI, URL, URN

URLとURIとの違いを今一つ認識していなかった。

自分の備忘録として記しておく。

URI は URLとURN を総称する名称/リソースを統一的に識別するID

URI (Uniformed Resource Identifier)
┣URL (Uniformed Resource Locator)
┗URN (Uniformed Resource Name)

URLはリソースの場所を示すものであり、URNはリソースの名前を示すものである。
この二つはリソースを識別するものであるから、これらを総称してURIとする、と理解した。

2010年4月24日土曜日

アンチノミー

メモとして。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%BE%8B%E8%83%8C%E5%8F%8D

カントにとって、以下のものに関連する四つのアンチノミーが存在する。

1. 時間と空間に関する宇宙の限界
2. 全ては分割不可能な原子から構成されている(それに対して、実際にはそのようなものは存在しない)という理論
3. 普遍的な因果性に関する自由の問題
4. 必然的な存在者の実在

安西デザインスタジオ サイト



知人のサイトを構築。
ジブリ美術館の造園、サツキとメイの家の庭等をデザインした安西一憲さんのデザインスタジオのサイトです。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~anzaidesign/

個人事務所なので、本人の人柄を表すようなサイトをイメージしました。